釣月軒

音楽や俳句を考えます。記事の題名欄に拙句を載せています。

某氏の講演

人間というのはまあ、何も分からないものなんではないですか?しかし、何も分からない中で、いろいろやって、考えたりする。そこで、素晴らしいものや美しいものに出会って、心を動かされるのでしょう。その、心動かされるということは、人間には何も分からないとしても、やはり事実でしょう。そしてそれは何をおいてもまず、大切なことなのではないですか。


だから、我々はとりあえず、そういう心動かされるということを、馬鹿にしてはいけないのではないですか?自分や他人が心を動かされるということを守らなくてはならないのではないですか?心動かされるということを馬鹿にして、死んだ理屈や何々主義や私欲を、人や物に押し付けたりしてはいけないのではないですか?或いは、自他の人生をないがしろにしてはいけないのではないですか


むろんそれは我々は自由奔放に生きて良いというわけではないですよ。生きて心を動かされるためには各人は放縦であってはならない、自律は必要でしょう。しかし、それは自分や他人の心を、死物として扱うこととは真逆のことです。心を生かすために心を育てることと、心が死んでいるためにさらに心を殺そうとすることとは、全く違うことです。

一匹の喧しさかな家の蝉

蝉は一匹で大音である。

家の木にそれが居れば凄い音である。

うるさく、眠くなる。

シューゲイザーという音楽があるが、蝉の声に及ばない。




歩み来し人麦踏みをはじめけり 素十

犬のぬに魚と答え子の薄着

朝職場へ歩く道、母と幼児がしりとりをしながら迫って来る。

母が 犬 と言い子が 魚 と言う。


可愛らしい混沌。





と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな 虚子